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幸せってなんだろう?


我が家の長男は、小さい時からアトピーとぜんそくがあり、病院と縁が切れたことはありませんでした。
 その上やんちゃで、二度の骨折、交通事故、下校途中に犬に襲われて血だらけで帰ってきたこともありました。そのほか数え上げれば、きりがないくらい...。
 始めのうちは何かあるたびにオロオロして、泣きたいような気持ちで病院に通っていた私も、だんだんと鍛えられ、「もう、ちょっとやそっとのことでは驚かないぞ!」と思っていたら、今度は私自身ががんのために手術。

 舌がんがリンパ腺に転移していたので、舌,首、のど、胸、背中と十時間の手術を受けました。
その後遺症のため、前のように話をしたり、物を食べたりができなくなりました。十八年間続けてきた仕事もやめました。掃除機をかける、洗濯物を干すといった、今まであたりまえにやってきたことが、私にとって重労働になりました。
 退院直後は本当に何もできなくて、周りに迷惑ばかりかけて、何のために生きているんだろうと落ちこんだこともありましたが、そんな時、それまでは些細なことでけんかばかりしていた主人が「おまえはただ、いればいいんだ」と支えてくれました。

 これまでは時間に追われ、仕事に追われ、文句を言いながらやってきたことが、今日はお弁当を作ることができた。今日はアイロンがけができた。と、私にもまだ家族のためにできることがあるという喜びに変わりました。
 私がのんびりと家にいるので、思春期に入った長女も、よく話をしてくれるようになりました。
 先日「波乱万丈だな」と主人が言うので私が「何もない人生よりも豊かかもしれないよ。年をとった時、『私、 何の苦労もしてないの』って笑っていられたら、幸せ。そして死んでいく時、あなたの手を握って言うの。『おもしろい人生だったね』って」と答えると「おーい、勝手に俺をおいていくな」と主人。

 お互い、先のことは見えないって、よくわかっているけど、こうして笑っていられる"今"が幸せ。
 あたりまえだと思っていたことがあたりまえでなくなった時、見えてくる世界があります。そしてどんな事でも必要のないことはないと思うのです。
 もしも、子供がケガも病気もなく育っていたら、私はがんの告知を受けた時、こんな冷静ではいられなかったかもしれない。もしも、がんにならなかったら、今ごろ私は大切なものに気づかず、時間に追われ、愚痴ばかりの毎日を過ごしていたでしょう。
 人が生きていくために必要なものは、そう多くはありません。
 ときどき、私の人生こんなはずじゃなかったよなと思うことがあるけれど、今日一日を振り返れば、私に必要なものはちゃんと与えられている。そう悪くなかったと思えるから、幸せ。
 なんだか偉そうなことを書いてしまったけど、私は人間ができていないので、こう思えるまでずいぶんジタバタしました。きっと、これからもジタバタ生きていくだろうと思います。


(1997著)

注意:この作品は過去に某出版社の雑誌に掲載されたものです。
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