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夫が病むということ



☆予兆

平成16年の夏は例年にない猛暑でした。
夫はお盆休みもなく、出張に出掛けていました。
出張から戻った夫は「なんだか手がしびれる」と言い、8月最後の金曜日、会社を休んで近所の病院に行きました。
普段から病院嫌いの夫が、わざわざ会社を休んでまで病院に行くというのは余程の事だったのでしょうが、その時は深くは考えませんでした。
病院でレントゲン・血液等の検査を受け、結果は翌週になるとのこと。
この日、夫は仕事関係の人が心筋梗塞になった話をしていました。自分の足の付け根を指差し 「ここからカテーテルを入れて、治療するらしい。すごい世の中になったもんだなぁ」 と言いながら、指で心臓までの血管をなぞるようなしぐさをしたので、私は 「そんな縁起でもない真似はやめて!」 と夫を制したのでした。
翌日の土曜日、夫は自宅で草取りをしている時に胸を締め付けられるような感じがあったらしいのですが、すぐに治まったとかで私には何も言いませんでした。
日曜日はいつもの休日と同じように買い物やビデオを見て過ごし、夕食は久しぶりに家族揃っての楽しい時間を持ったのです。


☆まさか!!

夕食を終え、デザートの梨も美味しそうにたいらげた夫が 「何か変だ」 と言い出したのは9時近くになってからでした。
家族でどうするこうすると言いながら、結局は119番に電話。
娘に搬送先の病院がわかったら連絡するから、後で車で来てくれるように言い残して、私も夫と救急車に乗り込みました。
この時の夫はひどく汗をかいていたものの、意識もあったので、正直言って私はそれほど大した事だとは思っていなかったのです。
病院に着き、夫は救急センターへ。
廊下で待っていると搬送してくださった救急車の隊員の方が来て 「心筋梗塞らしい」 と告げられ呆然。
「ご家族にお話があります」 と看護師さんに呼ばれた時、ちょうど娘と弟夫婦がやってきました。救急車が出た後、娘はどうしていいかわからず、私の弟に電話をしたらしいのです。
先生のお話があり、何枚かの書類に署名をしましたが、この時の話の内容はほとんど覚えていません。 (後で書類のコピーを見たら "理解しました。その上で納得して手術に同意します。" と書いてありました。)
その間、弟は私の体を気遣って、ずっと私の肩を撫でていました。
緊急カテーテル検査・加療のために部屋を移動。暗い廊下をストレッチャーに乗せられた夫の手を握り歩きました。
長い待ち時間・・・。
弟夫婦と娘と廊下の長椅子に座って、気を紛らわすように話をしながら、みんなの目線はついつい時計の方へ行ってしまいます。
私の癌に続いての夫の病気・・・。
「本当に退屈しない人生だわ」 という私の言葉に 「それだけ言える元気があれば、いいけどさ」と弟。
こんな時、兄弟というのは有り難いものだと、つくづく思います。

無事に処置が終わり、画像を見ながら、先生の説明。
幸い、夫の場合は発見が早かったため 『経皮的冠動脈形成術』 というので済んだらしいのです。
とりあえず危機は脱したものの、いつ様態が急変するかわからないとのことで、弟夫婦と娘には帰ってもらって、私はICUの前で待機となりました。
午前2時 「落ち着いたので、面会してもいいですよ」 と看護師さんが呼びに来てくださいました。
夫は意識もはっきりしていて、ひと安心。
「お話して、かまいませんよ」と言われたけれど、言葉が見つからなくて、手を握ってお互いうなづき合うだけでした。
それから、看護師さんからの説明がありました。
心臓にカテーテルが入ったままになっているため、体を固定しなければならないので、足をベットに縛ります。同意・署名。
血栓を予防するための特殊な靴下をはかせます。同意・署名。
今、医療の現場でいろいろな事が問題になってるせいなのか、こんな事まで?と思うくらい、ひとつひとつ説明があって、同意・署名。

ICUの前には、家族が待機できるように畳敷きの部屋といくつかの長椅子が並べてある場所があるのですが、畳の方は先に休んでいらっしゃる家族が何組かあったので、私は長椅子に横になりました。冷房が利き過ぎていて、とにかく寒い。
元より眠れるはずもない一夜が明けました。


☆ICU

早朝 「ご心配でしょう?面会できますよ」 との看護師さんの言葉。
ICUの面会時間は午前11時〜12時と午後6時〜8時の2回、10分程度と決められていますが、看護師さんが気遣ってくださったようです。
朝になるのを待って病院に来た娘と息子、私からの電話で駆けつけた夫の両親と兄もそれぞれ面会が出来ました。
息子は学校に行かなければならないため、娘を病院に残し、私は家に帰りました。
夫の会社と私のバイト先への連絡、入院の準備、やらなければならない事はたくさんあるはずなのに、頭の中がまとまりません。
とりあえず必要な物を持って、すぐに病院へ。
11時の面会の時にも夫は体を固定され、寝返りをうてない状態が辛いらしく、同じような経験を持つ私に 「おまえ、よく我慢してたよな」 とこぼしていました。

夕方の面会時間まで、ICUの前で娘と2人で待機。
その場所はICUの隣にある手術室の待機場所にもなっていて、心配そうな顔をした人達が入れ替わり時間を過ごしていきます。

夫の主治医は若い先生でした。
夕方の面会の後 「様態は安定しているので、ご家族の方は帰られてもかまいませんが・・・」 と先生はおっしゃいました。 「ただ万が一の時、緊急の処置を取るために家族と相談をしなければならない場合に遅れて、それならなぜ帰っていいと言ったのか、と言われても困るんですけどね」
そばで聞いていた看護師さんが 「緊急の時に連絡が取れるようにして行っていただければ、大丈夫ですよ」 と言ってくださったので、私と娘の携帯の番号を伝えて、家に戻りました。

医師の言葉というのは、患者や家族にとって、とても大きな意味を持つものだと思います。
余談ですが、私の主治医の先生は、私が舌癌第3期リンパ腺転移という楽観できる状況にない時でも 「協力しますから、一緒に闘って行きましょう」 と力強く言ってくださいました。
医師の立場からすれば、何かあった時に言葉尻を取られて責任を問われてはたまらないというのが本音かもしれませんが、きちんとした説明があって、医師との信頼関係が築ければ、たとえ最悪の事態になったとしても納得できると思うのは、私だけでしょうか。

ICUに入る時には入り口のインターフォンで許可をもらわなければなりません。夫がICUにいる間、娘と私は面会時間を待ちかねて入り口で秒読みをし、午前11時と午後6時になると同時にインターフォンを押すという日々でした。
夫が快方に向かっていることもあって、部屋に入っていくと看護師さん達も 「お父様、お待ちですよ」 と明るく声をかけてくださいました。娘と2人で、時には息子も加わって、「俺はおもちゃか?」 と言う夫の顔や頭や手を撫で回し、冗談を言い合い、短い時間はあっという間に過ぎていきました。
私達がICUの一角で家族の時を過ごしている一方では、何日も待機場所に泊まり込み、意識のない身内との面会時間を待ち、会話のない面会時間を過ごしていらっしゃる方もいました。
身勝手な事ですが、夫の病気が大事に至らなくてよかったと、本当に思いました。


☆ついにキレた

入院から6日目、夫はICUから個室へと移りましたが、まだベットから起き上がることはできません。
私は朝起きるとすぐに、娘の朝食用と息子のお弁当を作ります。娘はそれを持って、7時の夫の朝食に間に合うように、毎朝病院に通ってくれました。娘が9月末まで大学の夏休みだったのは救いでした。
私は息子を送り出し、家事を済ませ、娘と私の昼食用のお弁当を作って病院に行き、娘と交代します。6時の夕食が終わるまで夫の傍で時間を過ごし、家に帰って夕飯の仕度。
夫が入院しているからといって、現実の生活は待ってはくれません。夜、布団に入っても寝つかれず 「私がしっかりしなければ・・・」 という思いと 「これから、どうなるんだろう・・・」 という不安が交錯します。早朝、あるいは夜遅くにかかってくる夫の母からの電話が疲れ切った私の神経を逆撫でました。

ベットに横たわる夫が、だんだん小さくなっていくような気がします。
「おまえ、だんだん病人らしくなっていくね」
これは過去に夫が私に言った言葉ですが、まさしく夫がそうでした。
年よりも、ずっと老けこんで見える夫。
気弱な言葉ばかり吐く夫。
私は、些細な言葉に、今となっては覚えてもいないくらい些細な夫の言葉に苛立ち、読んでいた本を壁に投げつけました。
夫にしてみれば、今まで入院どころか病気らしい病気もしたことがないのに、突然オムツ姿でベットに横になっていなければならないのですから、とてもやり切れないものがあったのでしょうが、そんな事も思いやれないくらい私自身も疲れていました。


☆退院へ

ベットから起きあがれるようになると、夫の表情もずいぶんと変わってきました。
体には心電図の端子がずっと貼りつけられたままになっていて、それを記録する装置を腰にベルトで巻きつけています。トイレに行く時、それが邪魔になるので、消灯を過ぎてから、ベットの上にズボンとトランクスを脱ぎ捨て、部屋にあるトイレに入っていたら、突然、先生がやってきて 「焦ったよ・・・」 と笑いながら話してくれるようにもなりました。

連日、お見舞の人、人、人。
仕事関係の人が来ると、夫がやり残してきた仕事の引継ぎで、1時間以上話し込むことも珍しくありません。会社の若い人達は、夫が退屈しているだろうと、家から次々とコミック誌を持ってきてくれました。普段は知らない夫の一面を見て、意外に思ったり、嬉しくなったり。
1ヶ月余の間に50人以上のお見舞をいただきました。
本当にありがとうございました。

夫のリハビリのために、毎日、2人で病院内を歩き回りました。ちょっとした探検気分で。
退院の話もちらほら出る中、困った事がひとつ。
例の、私が同意・署名をして履いていた血栓を予防するための靴下のせいで、治りかけていた夫の水虫が大増殖してしまったのです。
・・・・・・・・・・
何はともあれ、夫は順調に回復していきました。
「今月中に退院できますか?」 と主治医に尋ねると 「その方向で考えていきます。絶対とは言えませんけどね」 この先生、過去にとても辛い経験をしたことがあるのかしら? そんな事を考えてしまいました。

10月1日、夫は無事に退院することができました。この日は娘の20歳の誕生日。おまけに、夫が入院中に就職試験を受けていた息子の内定通知が届くという、嬉しい偶然が重なったのでした。


☆後記

世の中には、病と闘ってる方が大勢いらっしゃると思います。
そんな方達から見たら、私達家族が過ごした1ヶ月は苦労とも呼べないような事でしょう。
以前、私が癌の告知を受けた時には 「私でよかった」 と思いました。もし子供だったら自分が病む以上に辛いでしょうし、もし夫だったら経済的に大変なことになるだろうと考えたからです。
幸運なことに、夫の入院は短期で済みましたし、会社員ということもあって、いろいろなサポートを受けることができましたが、それでも、夫が病むということは、想像以上に不安なものでした。今まで夫に頼り、甘え過ぎていた自分を深く反省もしました。

過ぎてしまえば、あっという間の出来事・・・。
周りの方々に支えていただくばかりの日々だったのですが・・・。


(2004.10 著)


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